ゲーム自分史

わが愛すべきゲーム自分史(33)1992年・20歳  ~ 元祖箱庭シミュレーション「シムシティ」 ~

当時、この年(と言っても20歳そこそこだが)まで様々な種類のゲームを楽しんできたなかで、反射神経系のゲーム(アクション、シューティング)よりも、物語性があって長時間考えるゲームに好みが定まってきた。 しかし、ここまで「シミュレーションゲーム…

わが愛すべきゲーム自分史(32)1992年・20歳  ~ 2年遅れのスーパーファミコン ~

20歳を迎えても特に感慨はなかったが、大学も3年生になれば専門課程に進むし、就職活動も少しずつ意識するようになり、それまでのように無邪気に時間を浪費して遊ぶことは少なくなった。また、長男ということもあり、Uターン就職の可能性は一応残してお…

わが愛すべきゲーム自分史(31)1991年・19歳  ~ ストⅡとの出会いと諦め ~

1991年のアーケードゲーム最大のヒット作が「ストリートファイターⅡ」であることは論を俟たないだろう。私がゲームの常宿にしていたボウリング場や過疎ゲーセンにも導入され、私も、高校時代の初代は見る専門だったが、今回は何度かプレイし、「キャラク…

わが愛すべきゲーム自分史(30)1991年・19歳  ~ 何度でも語れるドラクエ音楽の素晴らしさ ~

話をドラゴンクエストに戻すと、ファミコンではⅢ・Ⅳも楽しんだ。結構陰鬱なストーリー展開(例:オルテガの最期、シンシアのはねぼうし)など、語りたいポイントは多いが、ネット上にコメントはいくらでもあるので省略します。 ここでは、すぎやまこういち氏…

わが愛すべきゲーム自分史(29)1991年・19歳  ~ クソゲー以上良作未満 ~

1980年代後半~90年代初頭はファミコンソフトがたくさん世に出た時代で、後世に残る名作もあれば、後世に語り継がれるクソゲーもあった。しかし実際には、このどちらにも属さないような「微妙に面白くない」「微妙に操作性が悪い」「でもネタとしては…

わが愛すべきゲーム自分史(28)1991年・19歳  ~ 外れクジ(クソゲー)を引くのも経験値 ~

推理アドベンチャーゲームに興味を持ち、もう1本遊びたくなった。そこで、タイトルだけ見て買ってしまったのがこれ。 ● シャーロックホームズ 伯爵令嬢誘拐事件(トーワチキ) 結論だけ言うと、人生初の「金を出してつかまされたクソゲー」となりました。そ…

わが愛すべきゲーム自分史(27)1991年・19歳  ~ 名作推理アドベンチャー「オホーツクに消ゆ」 ~

ミニゲームの話を書きながら、「そういえば、ゲーム内ミニゲームのはしりって何だろう」と考えてみた。ドラクエⅣのカジノあたりかなと思っていたが、「あ、あれがあった」と思い出した。****************** 大学2年生になり、初期(19…

わが愛すべきゲーム自分史(26)1991年・19歳  ~ 麻雀牌ソリティア「上海Ⅱ」 ~

この時期、ゲームセンターでよく遊んだパズルゲームがもうひとつ。 ● 上海Ⅱ(サンソフト) maedahiroyuki.com もともとはMacパソコンに付属したゲームだったらしいが、私は大学の授業以外でパソコンに触れたことはなかったので、そんな経緯は知らない。ア…

わが愛すべきゲーム自分史(25) 1991年・19歳  ~ 暑さをしのぐゲームセンター ~

1990年代の学生向けアパートは,エアコンなどないのが当たり前だった。最初の夏は扇風機1台でしのぎ切ったが,戸建て住宅と違って風通しも悪いので,2年目の夏はもう少し賢く過ごそうと考えた。実家に1~2週間帰省したところで,大学生の夏休みは長…

わが愛すべきゲーム自分史(24)1990年・18歳  ~ ファミコン名人戦(将棋) ~

頭脳ゲームに関しては、将棋への興味も弱いながらに続いており、こちらも「気を遣わない相手」としてファミコンの将棋ソフトを購入することにした。 ● ファミコン名人戦(SNK) まず最初の感想が「えっ? 強くないの?」そもそも、理数系にとことん弱い私…

わが愛すべきゲーム自分史(23)1990年・18歳  ~ 田村光昭 麻雀ゼミナール ~

大学生の娯楽の筆頭格と言えば麻雀だが、私はルール程度しか知らなかったし、友人からもメンツが足りない時だけ声がかかる程度で、そこまでのめり込みはしなかった。そうは言っても、暇つぶし程度には遊びたいのと、コンピュータ相手なら気を遣うまいという…

わが愛すべきゲーム自分史(22)1990年・18歳  ~ ドラゴンクエストへの道 ~

順番が逆になったが、次に挑戦したのが初代ドラゴンクエスト。期待にたがわぬ面白さで、2日くらいで一気にクリアした。 この超有名な作品について、いまさら浅い感想など書いても意味はないだろう。それよりも、コンピュータ環境が今とは比較にならない19…

わが愛すべきゲーム自分史(21)1990年・18歳  ~ ドラクエ2後編・落とし穴無間地獄 ~

5つの紋章を手に入れ、邪神の像を掲げて、挑むはハーゴンの待つロンダルキアへの洞窟。 このダンジョンの鬼畜度合いは、数多のサイトで言及されているので今さら感満載なのだが、ゲーム人生最大のトラウマ体験なので、やはり多少は触れておきたい。 ・5階…

わが愛すべきゲーム自分史(20)1990年・18歳  ~ ドラクエ2前編・海で迷子になる ~

ファミコンの1人プレイは、中3時にストップしたままのドラゴンクエスト2から始めることにした。 (1から始めなかった理由はよく覚えていない。たまたま2が売っていたからか、2のストーリーのほうが気になっていたからか・・・)ムーンペタで話しかけた…

わが愛すべきゲーム自分史(19)1990年・18歳  ~ 6畳一間のゲームセンター ~

ファミコン本体と同時に購入したのは、当時でもすでにレトロゲーム化していた初期タイトル。しかし、心の空白を取り戻すには、まずここから始めたかった。これが、思わぬ形で奏功することになる。 大学1年は教養課程なので、学部の違いに関係なく、サークル…

わが愛すべきゲーム自分史(18)1990年・18歳  ~ リアル世界でファミコンGO ~

親との取り決めで、学費+家賃は仕送りで賄うが、それ以外の費用はアルバイトで捻出することにした。これでも十分すぎる待遇。両親(ともに他界)には感謝しています。 5月には週2回のアルバイトも決まり、時間的にも金銭的にも少し余裕が出てきた。もとも…

わが愛すべきゲーム自分史(17)1990年・18歳  ~ 続・大学デビューはボウリング場 ~

大学サークルの友人とボウリング場で遊んだ話の続き。 それでは【ビデオゲーム編】。 ● アドベンチャークイズ カプコンワールド(カプコン) アドベンチャークイズ カプコンワールド - Wikipedia クイズを解きながら、すごろく形式で各ワールドを転戦し、ボ…

わが愛すべきゲーム自分史(16)1990年・18歳  ~ 大学デビューはボウリング場 ~

1990年4月、無事に大学に現役合格することができた。上京したとはいえ、キャンパスは23区外の多摩地域で、都会でも田舎でもない町の風景は高校時代と大差なく、独り暮らしの生活もすぐに慣れた。 大学ではクイズサークルに所属し、こちらでも徐々に友…

わが愛すべきゲーム自分史(15)1987年・15歳  ~ 高校時代はゲーム空白期 ~

高校の3年間は、ほぼゲームと無縁の生活を送った。普通に勉強もしながら、校内新聞づくりなどの課外活動や、友達と高校生クイズに出場する(当時は天文学的な倍率で、すぐに失格した)など、それなりに楽しく過ごしていたので、別に不満を持っていたわけで…

わが愛すべきゲーム自分史(14)1986年・14歳  ~ ファミコン発展期は不完全燃焼 ~

中3になった頃、一時的に親しかった友人のところで、何度かファミコンを遊ばせてもらったことがある。80年代後半になると、ファミコンにもストーリー性のあるゲームや、芸能人の名前を冠した企画もののゲームが登場してきた。そうなると、遊ぶ方も相応に…

わが愛すべきゲーム自分史(13)1985年・13歳  ~ 読むRPG「ゲームブック」 ~

今から書くテーマはデジタルゲームではないのだが、その系譜に連なるので、この自分史の中で書くことにする。 1985年前後、日本では「ゲームブック」がブームになり、本屋では平積みのベストセラーが多く出版された。日本の作家による作品もあったが、人…

わが愛すべきゲーム自分史(12)1985年・13歳  ~ 頭脳ゲームへの興味 ~

中学入学後はある程度デジタルゲームと距離を置いた生活を送っていたのが、一方で、アナログな頭脳ゲームへの興味が芽生えていった。将棋は父に教わって、ルールや矢倉・棒銀などの基本的な形を覚えたが、5級くらいのレベルで止まった。(無謀にもデパート…

わが愛すべきゲーム自分史(11)1983年・11歳  ~ ファミリーコンピュータ登場 ~

1983年(昭和58年)、小6になると同時に、小3まで過ごした家に引っ越して戻った。これ以降、大学進学・転勤・結婚などでの転居はあっても、実家は茨城に定着する。 そしてこの年、ついにテレビゲーム史の金字塔「ファミリーコンピュータ」が発売され…

わが愛すべきゲーム自分史(10)1982年・10歳  ~ ゲーセンがちょっと怖かった時代 ~

1978年にスペースインベーダーが大ブームとなった時、街中のあちこちに「インベーダーハウス」と呼ばれる店が誕生し、初期のゲームセンター文化を形作った。しかし、1980年代前半までは「ゲームセンターは不良の溜まり場」と社会に認知されており、…

わが愛すべきゲーム自分史(9)1982年・10歳  ~ テレビゲーム黎明期 ~

私の家では電子ゲームは割と買ってもらえたのだが、テレビゲームだけは高校卒業まで頑なにNGだった。母親曰く「目に悪いからね」ということだったのだが、それなら電子ゲームを与えていることと整合性がとれない。とはいえ、私も強くねだったわけではない…

わが愛すべきゲーム自分史(8) 1982年・10歳  ~ FLゲームって知ってますか ~

電子ゲーム(LSIゲーム)のなかで,画面表示に液晶ではなく蛍光管を用いたものは,特に「FLゲーム」と呼ばれます。(呼び名としては定着せず,通常はLSIゲームと呼ばれた。 ただ,液晶電子ゲームも広義ではLSIゲームなので,分類上の名称になる)…

わが愛すべきゲーム自分史(7) 1982年・10歳  ~ 液晶電子ゲームの進化 ~

ゲーム&ウォッチは,年々進化をしながら新しいタイトルが次々に生まれた。1個6千円前後はそれなりに値段が張るので,友達と貸し借りしたり,互いの家を遊びに行き来しながら複数タイトルを遊ぶのが主流となっていった。 ワイドスクリーンでは,「パラシュ…

わが愛すべきゲーム自分史(6)1981年・9歳  ~ スーパーのゲームコーナーPart2 ~

引っ越し先の町にも1軒だけ総合スーパーがあり、おもちゃ売り場の隣にはゲームコーナーが設置されていた。小4くらいになれば、選ぶ機種も多少アクティブになる。強く記憶に残っているのはこんなところ。 【エレメカ編】 ● ミニドライブ(関西精機製作所)…

わが愛すべきゲーム自分史(5) 1980年・8歳  ~ 駄菓子屋ゲーセン再び ~

小3の夏に、また父親の転勤で茨城県内の別の町に引っ越した。転校先の同級生とも仲良くなることができ、よく行った先はまたしても駄菓子屋ゲーセンだった。 小5の終わりに再度転校するまでの2年半、この店にもよく通った。(学用品もいろいろ売っていたの…

わが愛すべきゲーム自分史(4) 1980年・8歳  ~ ゲーム&ウォッチとの出会い ~

この年に登場した「ゲーム&ウォッチ」は、子どもの遊びの環境を劇的に変えた、エポックメイキングな商品であった。それまで大人の聖域だと思われていた電子機器がおもちゃになり、デパートのゲームコーナーのような機械操作が家庭で出来るというのは初めて…