わが愛すべきゲーム自分史(1) 1978年・6歳 ~ジャスコの3階はワンダーランド~

小学1年生の時に、親の転勤で茨城に引っ越した。
同じころ、近くに開店したジャスコによく連れて行ってもらったのだが、開店当初は地上3階建て店舗の3階フロアがすべてゲームコーナーになっていたのが、子ども心にすごい衝撃だったのを覚えている。
(テナントの入居が間に合わなかったのか、大店法などの規制があったのか、真相は未だにわからない。半年か1年くらいの間には、衣料品売り場へと変貌していった)

 

当時のゲームコーナーはエレメカの天下。スペースインベーダーが発売されたのはこの年だが、ファミリー向けの遊技場には来ていなかった。
当然、6歳の私に難しい操作が出来るわけがない。私のゲーム初体験は


「じゃんけんピエロ」  

 

「おさるのかごや」   

  の2つであった。

(写真か動画をリンクしたいが,著作権的にまずいかと思ったので控えます)

 

いま思えば、単に勘で三択を当てるだけのゲームに、なぜあそこまで夢中になったのかさっぱり分からない。当時も1回100円だったと思うので、親もよくやらせてくれたものだ。
後付けの理屈だが、受動的に見るだけのテレビと違って、自分の操作によって音楽・ビジュアルが変化し、結果も左右されるというのが刺激的だったのだろうと思う。
いずれにせよ、これが「ゲームって面白い」という原体験となって6歳の児童に刷り込まれたのだった。

 

最近知ったのだが、この2つのゲームの販売元はタイトーなんですね。
現在も天下を握る大手ゲームメーカーも、この時代からアミューズメントビジネスの礎を築いていたということが、先述の「日本デジタルゲーム産業史」に詳しく書かれていて、とても興味深い。
屋上遊園地によく設置されていた木馬を製作した「中村製作所」が後のナムコバンダイナムコ)、ジュークボックスのメンテナンスをしていたSEGA、綿菓子製造機からスタートしたカプコン    etc.
夢のある話だなぁ。


そういえば、ジャスコのゲームコーナーには、スクリーンの映像に向かって射撃するゲームがあったような記憶がうっすら残っている。今思えば、あれは任天堂クレー射撃か、ワイルドガンマンだった可能性もありそう……。

 

ちなみにうちの母(故人)は、当時「モグラ退治」(元祖もぐらたたき)をムキになってやって、手首を痛めていました。