わが愛すべきゲーム自分史(2) 1979年・7歳 ~駄菓子屋ゲーセンの想い出~

ジャスコの次に夢中になったのは、家の近所にあった駄菓子屋だった。

  

普通の店だったところの隣の部屋(薄暗い倉庫のようなところ)が片付けられ、スペースインベーダーブロック崩しが据え付けられたのだ。
ビデオゲーム」というものを生まれて初めて見たのは、この時だったと思う。テレビ画面が自分の操作で変化するというのは、とにかく衝撃の体験だった。

クラスの友達でブロック崩しが急速に上手くなった子がいて、常にボールを裏側に入れてハイスコアを出すのを羨望のまなざしで見ていた。この時期は与えられた小遣いにも制限があったため、やりこんで上達するよりも、見て楽しむのが主流だったように思う。

 

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スペースインベーダーが爆発的ブームになったのは1978年(昭和53年)だが、当時は喫茶店などの大人の社交場に設けられ、大学生や若手社会人が100円玉を積んでプレイするのが主流だったようだ。当然、低学年の小学生が気軽に入れるわけもないし、そもそもそんな金もない。
しかし、ブームは1年で鎮静化し、1979年になると中古の筐体が子どものテリトリーにも流れてくるようになり、全国に「駄菓子屋ゲーセン」が次々に誕生した。

いま、おじさん世代同士で昔のゲームについて語ると、60歳前後は「学校さぼって喫茶店でインベーダーにハマった」、50歳前後は「近所の駄菓子屋で学校の帰りに遊んだ」と、想い出がくっきりと分かれる。
現在のゲーム業界で第一線に立つ人のインタビューなどを聞くと、この駄菓子屋ゲーセンが原体験になったと語っている人が結構いる。

何が人生を変えるかわからないものだと思う。
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また、その駄菓子屋の入り口わきには、10円ゲームの金字塔「新幹線ゲーム」もあり、こちらも入場料代わりに、行けば必ず挑戦していた。

  

(一応エレメカに分類されてはいるようだが、使用するエネルギーは重力と太陽光のみ。筐体を支えるのはイーゼルのような木で、究極のエコロジーマシンである)

10円玉をパチンコで弾き、途中のトラップを避けて6回目でゴール穴に入れれば景品が出るのだが、これも超苦手で、生涯で1回もゴールしたことがない。


※ 3年前、東京に出張した帰りにお台場のレトロ商店街で25年振りに「A級LICENSE(派生商品)」にトライしたが、あえなく撃沈しました。


今はどうか知らないが、昭和の小学生にとって「1回100円」は高いハードルになる。1回30円以内でプレイするのが、駄菓子屋ゲーセンの基本であった。