わが愛すべきゲーム自分史(4) 1980年・8歳  ~ ゲーム&ウォッチとの出会い ~

この年に登場したゲーム&ウォッチは、子どもの遊びの環境を劇的に変えた、エポックメイキングな商品であった。
それまで大人の聖域だと思われていた電子機器がおもちゃになり、デパートのゲームコーナーのような機械操作が家庭で出来るというのは初めての体験で、私も含め多くの子どもが夢中になった。

 

※ もっとも、この製品は「スーツの胸ポケットに入る」という開発コンセプトがあり、時計機能が内蔵されてることも含め、大人の使用も想定されていたようだ。ただ、私が見聞きした実体験から言えば、親世代が遊んでいるという話はなく、9割以上は子どもが遊んでいたと思う。

 

父親(故人)は新し物好きなところが結構あり、私は第一弾の「ボール」、弟は「ファイア」を、発売年に買ってもらうことができた。友達の家では「バーミン」をよく遊んだ。


私の凝り性な性格は、このゲーム&ウオッチがきっかけで目覚めたように思う。

「ボール」は、ひたすら左右を行き来するお手玉をキャッチし続けるのだが、複数のお手玉は等速で動くので、軌道に長短はあってもどこかで周回パターンとなる。
このパターンを覚えれば楽勝なのだが、GAME Bはボールが3個になるうえ、速度はだんだんと早くなり、最終的には液晶に残像が出るほどの超高速になるため、一瞬のミスも許されなくなる。(他のゲームは3ミスなのだが、なぜか「ボール」だけは1ミスでゲームオーバーだった)
このハイスコアアタックに何故かハマり、カレンダーの裏にマス目を引いて表をつくり、更新した点数を書き込むようになったのだ。

 

翌年には、「マンホール」と「ヘルメット」を買ってもらえた。
私はヘルメット担当で、有名な裏技「ゴースト人間」を、漫画「ゲームセンターあらし」で紹介される前に発見するくらいやり込んだ。

 

その結果、伸びてゆくスコアと反比例して、あるものが落ちた。
幸い、成績は落ちなかった(そこまでの節度はあった)が、視力が急速に落ちた。
母親が言うには、ゲームそのものが悪いのではなく、夢中になって日が暮れていくのに明かりをつけなかったからだそうだ。まあどっちにしても同じことだが。
「ゲームは1日1時間」という金言が生まれる前の、苦い思い出です。

 

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大人になってから、横井軍平氏(ゲーム&ウォッチゲームボーイ等の生みの親)の評伝を何冊か読んだが、知れば知るほど、私たちの世代は横井氏のアイディアの恩恵に浴していたのだと、深い感銘を受けた。
物心つくころにはウルトラハンドで遊んでいたし、テンビリオンは友達に借りて挑戦したことがある。
うまく言えないが、これらの玩具は「遊びというものの本質」を掴んでいたと思う。
また、彼を代表する名言枯れた技術の水平思考は、技術者に限らず、仕事に携わる大人みなが意識するべき考え方だと思う。私も、仕事で新しい企画を練るときは「いまあるものや使い古されたものを、ひねったり見方を変えたり組み合わせたりできないか」を常に考えるようにしている。

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