わが愛すべきゲーム自分史(5) 1980年・8歳  ~ 駄菓子屋ゲーセン再び ~

小3の夏に、また父親の転勤で茨城県内の別の町に引っ越した。
転校先の同級生とも仲良くなることができ、よく行った先はまたしても駄菓子屋ゲーセンだった。

小5の終わりに再度転校するまでの2年半、この店にもよく通った。
(学用品もいろいろ売っていたので、言い訳にも適していた)
後から入った機種も含め、ここで遊んだゲームを思い出してみる。

 

エレメカ編】


● ピカデリーサーカス(コナミ
この時代、ほとんどのゲームコーナーにあった。このゲームで「ギャンブル的思考」(当たりやすさと配当が反比例する関係)に初めて接した子どもは多いはずだ。
私は昔から堅実な性格だったようで、ほとんど「2」か「4」にしか賭けなかった。1回だけ「10」を当てたような気がするが、「30」は生涯で一度も当てていない。それでも面白かった。
何故か「止まったところの180度反対側に次は止まる」という迷信があり、指でたどる友達がやたら多かったなぁ。

 

● 国取り大将 (本家の「国取り合戦」 …… コナミ工業
「国取り合戦」ではなく、そのコピーゲームがあった。ただニセモノ感は全くなく、当時はそれがコピーゲームだとは全く知らなかった。
国取り合戦のWikipediaを読むと「初期バージョンでは、ある方法で出目を操作する不正ができた」と書いてあるが、何人かの友達は、その「ある方法」を普通に実践していた。
(私はやっていない。別にいい子ぶるわけではないが、当時からチートには関心がなかったようだ)
また、「目押し」をマスターする友達もいた。後の人生でパチスロに役立っただろうか。

 

ビデオゲーム編】

 

パックマンナムコ
この時期のゲームでは一番ハマった。とにかくビジュアルが綺麗でコミカルで、見ていて飽きない。
面をクリアするごとにフルーツターゲットが変化する。私はメロンが限界だったが、うまい人はモンスターの動きを全部記憶し、永久パターンのように20面くらいまで行っていた。
このターゲットだが、ボスギャラクシアンの次に出てくる「ベル」を、私はずっと「かき氷」だと思っていた。また、実際は「カギ」が最終形なのだが、「カギを10面クリアするとドアになり、さらに10面クリアすると人形になる」という噂があって、うまい人の後ろで確かめようとしたことがある。都市伝説だとわかったのは、インターネットが普及した21世紀になってからだった。

 

スクランブル(コナミ
コナミ横スクロールシューティングの始祖。
後に発売されたグラディウスと比べればとてもシンプルな画面だが、当時は「スクロール」自体が初めて見るもので、とても刺激的だったのをよく覚えている。また、ショットとボムの撃ち分けや、山からビルへと変化していく背景も新鮮だった。

 

● クレイジーコング(ファルコン?)

ゴリラのドラミングのイラスト

もっとも有名なドンキーコングのコピーゲーム。ただ私はずっとこちらが本家だと思っていたので、のちにファミコンドンキーコングを見た際、マリオがジャンプするときに「ホヤッ!」と叫ばないのに違和感を覚えたものだ。

 

● ジグザグ(LAX)
言わずと知れた「ディグダグ」のコピーゲーム。こちらはパチモン感満載ですぐにニセモノと分かるのだが、ツルハシを取ると一定時間スピードアップするシステムは本家にないもので、これはこれで楽しめた。


● ムーンクレスタ(日本物産
高スピードで体当たりする敵と、ドッキングシステムが秀逸な縦シューティング。
この店の機械にはなんと、「電源プラグを引き抜いてからまた入れると、10回に1回くらいの割合でクレジットが入る」というとんでもない裏技があり、一部の小学生は、ハイスコアが消えるのも構わずに抜き差ししまくってタダでプレイしていた。
私は怖くて出来なかったが(本当です)、いま思えばかなり危険な行為だったよな。
それ自体が窃盗のような気もするし、機械が壊れたらいくら弁償することになったんだろう……。