わが愛すべきゲーム自分史(10)1982年・10歳  ~ ゲーセンがちょっと怖かった時代 ~

1978年にスペースインベーダーが大ブームとなった時、街中のあちこちに「インベーダーハウス」と呼ばれる店が誕生し、初期のゲームセンター文化を形作った。
しかし、1980年代前半までは「ゲームセンターは不良の溜まり場」と社会に認知されており、それは強ち間違いでもなかった。これにははっきりした理由が存在する。

 

初期に流通したアーケードゲームは、立ってプレイする大型筐体を除けば、平らな型をしていた。これは、喫茶店がテーブル代わりに導入するには向いていたが、「天井の照明が画面に映り込んで見えにくくなる」という致命的な欠点を抱えていた。これを回避するためには照明を最小限にするしかなく、必然的にゲームセンターは薄暗い環境となっていった。そして、薄暗いところに素行の悪い少年が集まりやすいのも自然の摂理である。

 

私が初めて友達に誘われてゲームセンターに行ったのは小5のときだったと思う。
案の定薄暗く、楽しいというより怖い気持ちが先に立ったのを覚えている。自分でプレイすることはほとんどなく、うまい人のプレイを後ろで覗くのが精いっぱいだった。
その後もごくたまに、背伸び感覚で年1~2回行くことはあったが、中2のときに青少年指導員(多分)に声がけされてからは本当に怖くなり、全く行くことはなくなった。

 

わずかな体験だが、ここではペンゴ」「Mr.Dо!などの比較的明るめのゲームを観戦していた記憶がある。
あとは「ミサイルコマンド」が超絶的に上手い人がいて、そのゲーム性の斬新さもあって、見ていて面白かった。

 

一番印象に残っているのは、壁面にずらりと並んでいたピンボールだろう。
同じエレメカでも、スーパーやデパートの遊技場にはそれほど台数はなく、やはりゲームセンターの印象が強い。
これも不良文化と紐づけされがちなのは、アメリカ映画の影響なのかもしれない。尾崎豊の「卒業」の歌詞にも登場しますよね。

 

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しかし、「ゲーム=不良」と印象付けられるのは、ゲーム業界にとっても課題となっていった。
80年代後半以降、業界は一丸となってゲームセンターの健全化に取り組んでいく。
その嚆矢となったのが、ビデオゲームの画面を斜め向きにしたこと」である。

 

 こういうの ⇒  アーケードゲームをプレイする人のイラスト(男性)

 

これによって、照明がゲーム画面に映り込みにくくなったため、店の照明を明るくすることが可能になった。
さらに、セガを中心に体感ゲームスペースハリアーアウトランアフターバーナーなど)が充実し、90年代にはUFOキャッチャープリクラが加わって、カップルや家族連れも楽しめるアミューズメントパークへと変貌を遂げていったのです。
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