わが愛すべきゲーム自分史(16)1990年・18歳  ~ 大学デビューはボウリング場 ~

1990年4月、無事に大学に現役合格することができた。
上京したとはいえ、キャンパスは23区外の多摩地域で、都会でも田舎でもない町の風景は高校時代と大差なく、独り暮らしの生活もすぐに慣れた。

 

大学ではクイズサークルに所属し、こちらでも徐々に友人が出来た。
(クイズに関しても一家言あるが、これについて書くのは別の機会にします)
サークル活動は週2回あり、夜6時過ぎに正規の活動を終えると、有志で夕食を食べた後、近くのボウリング場で遊ぶのが定番の楽しみになった。
そして私は、ボウリングは下手だったので、2ゲームお付き合いしたあと施設内のゲームコーナーに入り浸るようになった。

 

まずはエレメカ編】

 

●  山のぼりゲーム(こまや)

ja.wikipedia.org

生涯で唯一「極めた」と言えるゲームがこれ。登頂にかかる時間は20秒弱。失敗しても60秒の制限時間内なら何度でもやり直せるので、景品獲得率ならば100%だった。
エレメカでありながら、そのゲーム性はビデオゲーム的な要素があり、大人がプレイしても面白い。

 

功夫老師(ナムコ  

まず、コイン未投入時の音声デモ「おい、そこのあなた、あんただよ!ちょっと試していかんかね!」が、普通にうるさい。
ルールは極めて単純で、上下左右に配置されたボタンを、老師の声「上!下!左!右!(ランダム)」に合わせて素早く押すだけ。早いほどハイスコアになる。
反射神経を要するゲームとは相性が良く(中学時代の卓球部や、カルタ取り、早押しクイズなど)、スコアが出ればムキになるのが性というもの。
記憶があいまいだが、確かここでは10円か20円でプレイできたような気がする。


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1980年代後半から90年代前半は、所謂「エレメカらしいエレメカ」が最後の輝きを放った時代だった。それ以前の機種に比べれば性能も向上しているためか、レトロを売りにしているゲームセンターでは現在も稼働しているものも多い。
しかし、2010年代になって「こまや」は破産し、ナムコエレメカの保守業務を終了することを発表した。いよいよ絶滅危惧種となりつつあるので、この文化を守るためにも、保有店さんには細やかなメンテナンスを、近くの愛好家にはプレイしてお金を落とす形での支援をぜひお願いしたい。
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