わが愛すべきゲーム自分史(32)1992年・20歳  ~ 2年遅れのスーパーファミコン ~

20歳を迎えても特に感慨はなかったが、大学も3年生になれば専門課程に進むし、
就職活動も少しずつ意識するようになり、それまでのように無邪気に時間を浪費して遊ぶことは少なくなった。
また、長男ということもあり、Uターン就職の可能性は一応残しておきたいと思った。
そこで、公務員試験に向けた勉強も始めることにした。
(結果的には、それが今に続く職業となっている)

 

クイズ研究会の活動は続けていたが、プライベートの時間も友達とつるむことはなくなり、1年生の頃のようにアパートでギャラクシアン大会など、遠い昔の思い出となった。
とはいうものの、1人で勉強とバイトだけでは息が詰まる。やはり気分転換はしたい。

 

すでに発売(1990年)から2年経っていたスーパーファミコンを買いたくなった。
それまでは中高生時代のうっ憤を晴らすためのファミコンで十分だったが、きっかけは家庭用に移植された「ストリートファイター」だった。1回買えばあとは遊び放題の魅力には勝てず、満を持して本体といっしょに購入(本体は中古だけど)。

 

まあそれでも、自制心はあったようで、寝食を忘れて鍛えるほどには至らなかった。
十字キー昇龍拳を出すのはかなり難しく(練習すれば難なく出せるらしいが)、結局は連打の簡単さと投げ技のパワーでエドモンド本田に頼っていたような記憶がうっすら。

 

ここからしばらくは、スーパーファミコンでのプレイの思い出を書いていくことにします。

ただ、ファミコンと比べると覚えているソフトは少ない。そんなに沢山は買わなかったのだと思う。
同世代なら覚えていると思うが、スーファミのソフトは本当に高額だった。
比較的安いものでも7000円台。RPGなど容量の多いものは1万円超えもしばしば。私はもっぱら中古で買っていたが、それでもバイト学生には結構な出費だったので、無難な選び方になっていたと思う(クソゲーを掴めばショックは大きいので)。

 

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ロムカセットは量産に向いていないので、どうしても1本あたりの単価は高くなりがちだったそうです。

これを避けるため、後に発売されるプレイステーションなどは、ロード時間の長さを犠牲にしても、大容量で安価に量産できるCD-ROMを選んだのですね。
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