ゲームの「やりこみ要素」と実績システムの存在

1ヶ月近くブログ更新をサボってしまった・・・。
それもこれも「ロストジャッジメント」が面白すぎるため。

 

4日間ぶっ通しでメインストーリーをクリアしたことは以前に書いたが、その後も、ユースドラマ(高校を舞台にしたアナザーストーリー)に約10日かかった。
さらに、ゲーム内ミッション100%と、トロフィー(Steamでは「実績」)コンプリートを目指し、いまだに奮闘中というありさま。


本日(2月2日)現在、コンプリートトータルは98%、実績は49/56。
ドローンレース、エアセリオスガントレットが虫食い状態で、EXハードでのクリアも残した状態です。

 

それでも、セーブデータによればプレイ時間は110時間強。
(Steamのメニュー上では184時間になっている。何が違うんだろう)

先輩ゲーマーの体験記などには「80時間でトロコン」とか普通に書いてある。
どんな人たちなんだ? いや、異世界の超人なのかも・・・

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さて、ここでは個別のゲームについて詳しく書きたいわけではなく、
ゲームの「やりこみ要素」について、私見を交えて考察してみようと思います。

 

1.ゲーム黎明期における「やりこみ」

1970年代後半のアーケードから80年代のファミコン時代にも、やりこみは存在した。
もっともポピュラーなのは、ハイスコアへの挑戦だろう。
(私だって、小学生時代にゲーム&ウォッチのやりすぎで劇的に視力低下したのも立派な「やりこみ」である)
また、友人の中には「ノーコンティニュークリア」「ノーミスクリア」などの縛りプレイに挑む強者も結構いた気がする。
計時可能なゲーム(エキサイトバイクなど)ではタイムアタックもできたが、通常のゲームでは計時が不正確になるので、RTA(リアルタイムアタック)は流行っていなかったと思う。

 

2.ゲーム側が「やりこみ要素」を内蔵しはじめた90年代

私が最初にそれを意識したのは「ドラゴンクエスト」のエスタークだった。
はじめ、クリアした本編とは何の関係もないのに登場するダンジョンと、やたら強いボスの存在意義が全くわからなかった。しかし、何度目かでやっと倒したあとに「●●ターン・・・」というセリフが出たのを見て、すべて合点がいった。
なるほど、これでプレイヤーを長くつなぎとめようとしているのか
確かに、RPGなどストーリー重視のゲームは、読み終わったマンガと同じで「一度クリアしたら捨て置かれる」問題がついてまわる。これを少しでも回避するためのアイディアだったのだ。
ドラクエに限って言えば、それ以前からも「全キャラLv99」といったやり込みは一応あったが、あまりにも作業感が強く、私もやる気は起きなかった。
その点、この「エスターク倒し」は、モチベーションと作業量のバランスが上手くとれていると感じ入ったものだ。

 

3.ゲームプラットフォームに実績システムが実装された2000年代

Wikipediaによれば2005年の「xbox360」が最初らしいが、日本人に最もなじみ深いのはPS3の「トロフィー」だろう。
以降、プレイステーションとPCゲームでは実績システムが標準になるが、任天堂ハードは頑なに取り入れないというのも、これはこれで矜持を感じる。
(いずれ後述するが、私はこの時期ほとんどゲームに触ってこなかったので、体験的に語れることは何もない。)

 

 

4.現代のゲーム界隈における実績システムの功罪

 

(1)ネット上には反対意見も散見。全く気にしない人も多数

よく目にするのが「なまじあるから気になって不快」「やらされてる感」という意見。
少数だが、コアゲーマーからは「やりこみ方はプレイヤーが自由に考えればよい。製作者側に指図されるのがいやだ」という意見も見た。
(屁理屈だが、それを言ったら「ゲームプレイ自体、製作者の指図に従ってるのでは?」と思ってしまうのだが・・・)
一方で、「メインストーリーだけ楽しめれば十分。さっさと次のゲームへ行く」という意見も多い。
そりゃそうだ。楽しみ方はプレイヤーの数だけある。
ゲームは遊ぶのが目的なのだから、ゲームに遊ばれる必要はないのだ。

 

(2)個人的には大賛成

私はというと、気に入ったラーメン屋ができると全メニュー頼みたくなるタイプで、ゲームの実績一覧表を見せられると「製作者からの挑戦状」と思ってしまう。
また「こういう遊び方もあるよ」というガイドラインを示してくれていると考えれば、自分の視野を広げる手助けにもなっている。
もともと、手当たり次第にゲームを買いあさり遊び倒すのではなく、1つのゲームをじっくり時間をかけて堪能するタイプなので、経済的にも向いている。

現在一番ハマっている龍が如くシリーズなどは、ゲーム中にコンプリート要素が内在しているので、実績システムと合わせれば二重の楽しみになる。
(もちろん、これを苦行と感じる人はやらなければいい。メインストーリーだけで十分面白いのだから)

ただひとつ難を言うなら、「たった1つのどうしてもクリアできない要素」のためにトロコンが阻まれるのはイライラしますね。
(私の場合、「龍が如く3」のマグロ釣り、「龍が如く極2」のトイレッツ


(3)(素朴な疑問)業界全体の売り上げには貢献するのか?

1つのゲームが長く遊ばれるのは、ゲーム単体であれば製作者にとって喜ばしいのだろうが、プレイヤーの時間は有限なのだから、業界的には「多くのゲームを買ってもらう方が嬉しいのでは?」と思うことはある。
まあ、楽しみ方も多様である以上、売り方も多様なニーズに合わせていく必要があるのだろう。
その点、現在勢力を増しているサブスクリプション方式は、プレイヤーがゲームをやりこもうがハシゴしようが、サプライヤーは一定の収入が得られるので、うまく制度設計されているのかなと思う。
(この辺は、詳しい人がいたら教えてほしいです。勉強になるので)

わが愛すべきゲーム自分史(33)1992年・20歳  ~ 元祖箱庭シミュレーション「シムシティ」 ~

当時、この年(と言っても20歳そこそこだが)まで様々な種類のゲームを楽しんできたなかで、反射神経系のゲーム(アクション、シューティング)よりも、物語性があって長時間考えるゲームに好みが定まってきた。

 

しかし、ここまで「シミュレーションゲーム」はまったくやってこなかった。
ファミコンでも信長の野望・全国版」などは出ていたのだが、価格が高いのと、パソコンゲーム出身特有の高度なゲーム性が、後発ゲーマーを敬遠させていたのかも。

といっても、わざわざ高額なパソコンを買おうという気にもなれなかった。
(インターネットも普及しておらず、文書作成もワープロ専用機が主流だった時代。
 ゲームだけのために高額なパソコンを買うのは流石にぜいたくという自制心があった)

 

そんな折、スーパーファミコンで発売されたシムシティが面白いと友人に勧められ、試しに買ってみたところ、これにはハマった。
これもルーツはパソコンなのだが、家庭用機向けにかなりソフトなアレンジがされており(Dr.ライトのアドバイスなど)、初心者にも十分楽しめた。

街づくりをしている人のイラスト


マップの広さが固定されているので、適当に街づくりしているとすぐに開発可能地域が埋まってしまい、交通渋滞や公害を引き起こしてしまう。住宅街もスラム化するなど、よく設計されたゲームだと思った。
まあ、人口に貢献しない「病院」「学校」が勝手にできたらすぐ壊すというズルもやりはしたが、少しずつ少しずつ、時間をかけて人口が増えていく様を楽しむのは、私の凝り性な性格によく合っていた。

人口40万人くらいで開発が一度頭打ちになるのだが、何週間もかけて試行錯誤を繰り返し、ようやくメガロポリス(人口50万人)を達成したときの感慨はひとしおだった(何の報酬もないのに)。

 

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今も、学生時代のように余裕時間が有り余っていれば、「メガドライブミニ2」に入っているポピュラスなど、「箱庭ゲーム」を楽しみたいなぁと思っています。


(といいつつ、「ロストジャッジメントをトロコンするために毎晩ポーカーやら麻雀やらリス探しやらに勤しんでいる自分が、どの口で言ってるんだとは思うが・・・。 これは違う意味での箱庭ゲームですね)

 

しかし、同じシミュレーションゲームでも「ファイヤーエンブレム・紋章の謎は全く操作性がわからず、30分で挫折してしまった。

(これは5年前、ミニスーファミでの話)

名作の誉れ高き作品でも、個人的には向き不向きがあるのだと思いました。残念。

わが愛すべきゲーム自分史(32)1992年・20歳  ~ 2年遅れのスーパーファミコン ~

20歳を迎えても特に感慨はなかったが、大学も3年生になれば専門課程に進むし、
就職活動も少しずつ意識するようになり、それまでのように無邪気に時間を浪費して遊ぶことは少なくなった。
また、長男ということもあり、Uターン就職の可能性は一応残しておきたいと思った。
そこで、公務員試験に向けた勉強も始めることにした。
(結果的には、それが今に続く職業となっている)

 

クイズ研究会の活動は続けていたが、プライベートの時間も友達とつるむことはなくなり、1年生の頃のようにアパートでギャラクシアン大会など、遠い昔の思い出となった。
とはいうものの、1人で勉強とバイトだけでは息が詰まる。やはり気分転換はしたい。

 

すでに発売(1990年)から2年経っていたスーパーファミコンを買いたくなった。
それまでは中高生時代のうっ憤を晴らすためのファミコンで十分だったが、きっかけは家庭用に移植された「ストリートファイター」だった。1回買えばあとは遊び放題の魅力には勝てず、満を持して本体といっしょに購入(本体は中古だけど)。

 

まあそれでも、自制心はあったようで、寝食を忘れて鍛えるほどには至らなかった。
十字キー昇龍拳を出すのはかなり難しく(練習すれば難なく出せるらしいが)、結局は連打の簡単さと投げ技のパワーでエドモンド本田に頼っていたような記憶がうっすら。

 

ここからしばらくは、スーパーファミコンでのプレイの思い出を書いていくことにします。

ただ、ファミコンと比べると覚えているソフトは少ない。そんなに沢山は買わなかったのだと思う。
同世代なら覚えていると思うが、スーファミのソフトは本当に高額だった。
比較的安いものでも7000円台。RPGなど容量の多いものは1万円超えもしばしば。私はもっぱら中古で買っていたが、それでもバイト学生には結構な出費だったので、無難な選び方になっていたと思う(クソゲーを掴めばショックは大きいので)。

 

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ロムカセットは量産に向いていないので、どうしても1本あたりの単価は高くなりがちだったそうです。

これを避けるため、後に発売されるプレイステーションなどは、ロード時間の長さを犠牲にしても、大容量で安価に量産できるCD-ROMを選んだのですね。
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4日間でロストジャッジメント完走しました(ただしメインストーリーのみ)

公務員なので、おかげさまで年末年始はカレンダーどおりの6連休をもらえた。
一人息子は高校受験を控えているので、お出かけ・帰省等もなく、本当にヒマななか、
steamセールで購入したまま積みゲーになっていた「ロストジャッジメントを12月28日夜に開始。

 

いやあ、のめり込みました。
龍が如くのナンバリング8作品(0~7)はすべてクリア(うち6作トロコン)したが、大体はサブストーリーやミニゲームを埋めつつメインも進めるスタイルだった。
しかし今回は、メインストーリーがとにかく引き込まれる内容で、寄り道を許してくれない。
結局、元日の夜まで4昼夜、食事と睡眠以外はずっとパソコンに向き合い続け、一直線にエンディングまで突き抜けてしまいました。
おかげで、ブログ更新はおろか、紅白も全く見ていない。

 

いつものことだが、今さら月並みな感想をここで述べても仕方がないので、別な視点から魅力を語りたいと思います。 ※ 一部ネタバレあり
(ところで、この作品もそうですが、ゲームの感想ブログには素晴らしい筆致のものが本当に多いですね。並みの書評など吹き飛ぶレベル。
 まあ、だから検索上位になるのでしょうが・・・)

 

(1)俳優陣の演技が本当に上手い。


龍が如くシリーズのゲスト俳優は押しなべて名演技ですが(6の某女優さんだけは例外)、そのなかでも、今回のゲストは最高だったと思います。

主人公のキムタクは言うに及ばず。

江原(光石研さん)の、複雑な感情を押し殺しながらも最後の最後で本音を吐露するところには引き込まれました。
最も印象に残ったのは、桑名(山本耕史さん)のラストシーンでの慟哭。
私の中では最高だった「容疑者Xの献身」で石神を演じた堤真一の号泣シーンと並びました。
もちろん、クールなサイコパスになり切った相馬(玉木宏)も光っていましたね。

 

(2)答えの出ない命題に真っ向から挑み、プレイヤーの感想を一方向に誘導しない。
   その手段として、悪役にもきちんと主張させてくる。


ほかの人のブログにもありましたが、このストーリーに深みを持たせているのは「間宮由衣」の存在と、その主張にあると思います。
むろん、いじめ加害者の主張に賛同はできない。しかし彼女の言葉は、いじめというものの本質を的確に言い当てているのも事実。
彼女をクズと言い捨てられる人間は、過去の人生でいじめと正面から向き合えてきたのか。直接的な加害者でないことを理由に責任逃れしてはこなかったのか。
いじめとはコミュニティに関わる全員の問題であることを、嫌というほどプレイヤーに突き付けてきます。

 

余談ですが、龍が如く0でも、ラスボスの渋澤は決戦前に、主人公の桐生に対して自説を述べます。
ただし桐生は「うるせえ!」で一蹴し、議論にはならない(笑)

 

(3)サブストーリー、ミニゲームも含めたボリュームが凄まじい。


今回「ユースドラマ」(生徒と触れ合いながら学園の謎に挑む)が本編並みのボリュームで加わっているので、歴代作品のなかでは、「アナザードラマ」4編の入った「龍が如く5」に匹敵します。

個人的には、龍が如く5のメインストーリーがいまいちだったので、総合では「ロストジャッシメント」がナンバー1になりました。
まだユースドラマがほとんど手つかずなので(eスポーツだけコンプリート。ダンスとスケボーが途中、ロボットとボクシングはボロ負け続き、その他は出現すらしていない)、あと2ヶ月はやり込みできそう。

 

(4)独立作品でありながら、シリーズファンを意識した小ネタも満載


神室町と異人町の世界観だけ共通で、キャストは重複しないという触れ込みだったが、実際には「趙天祐」と「サバイバーのマスター」がセリフなしで数秒間カメオ出演
また、人間ではないが、小野ミチオもしっかり登場。
個人的にツボだったのは、ガールフレンドの藤堂湊が最後にカムロップを脱ぎ捨てるしぐさが、桐生一馬直伝だったところです。

 

わが愛すべきゲーム自分史(31)1991年・19歳  ~ ストⅡとの出会いと諦め ~

1991年のアーケードゲーム最大のヒット作がストリートファイターⅡ」であることは論を俟たないだろう。
私がゲームの常宿にしていたボウリング場や過疎ゲーセンにも導入され、私も、高校時代の初代は見る専門だったが、今回は何度かプレイし、「キャラクターの個性」「多彩な技」「優れたゲームバランス(誰を選んでも極端に勝率が偏らない)」に魅力を感じていった。

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ただ、私のテリトリーには所謂「ガチゲーマー」がいなかったため、順番待ちもなく自由に遊べた反面、後のeスポーツ文化の礎になった「ゲーセン文化」「格闘ゲームコミュニティ」などとも無縁だった。
当然のことながら、「キャンセル技」「フレーム」「硬直差」「確定反撃」といった格闘ゲーム特有の理論・概念も、自分の周囲では理解する人も語る人もいなかった。

私も、こんな用語を知ったのは数年前というありさま。

 

これも巡り合わせのうちなのだろうが、自分が仮にガチ環境に置かれたら、そのなかで切磋琢磨して上達しただろうか。
たぶん、早々にドロップアウトしたと思う。当時の自分には100円玉を積んで戦場へ赴くだけの覚悟はなく,スーファミで発売されたら、本体と一緒に買おうかな」というヌルいことしか考えていなかった。

 

25年以上後になって日本にもeスポーツが定着したいま、「あの頃もう少し頑張ってればよかったかな」と思わないでもないが、当時はクイズの特訓もしていたし、大学の勉強も落第しない程度には取り組んでいた。これ以上のリソースは割けなかっただろう。

 

隣の芝生は青く見えるものだ。

いま私は、プロ格闘ゲーマーの凄さをリスペクトしながら、ストVでコーディーを選び(彼も地方公務員なので)、ブロンズ帯で底辺レベルの対戦をそれなりに楽しんでいる。

わが愛すべきゲーム自分史(30)1991年・19歳  ~ 何度でも語れるドラクエ音楽の素晴らしさ ~

話をドラゴンクエストに戻すと、ファミコンではⅢ・Ⅳも楽しんだ。
結構陰鬱なストーリー展開(例:オルテガの最期、シンシアのはねぼうし)など、語りたいポイントは多いが、ネット上にコメントはいくらでもあるので省略します。

 

ここでは、すぎやまこういち氏が残した音楽の素晴らしさについて、他の方のコメントを紹介します。
※ まぁこれも「今さら」と言われればそれまでだが・・・
※ 書く内容は「自分史」ではないが、プレイしたのは大学時代なのでご了承ください。
※ ビデオが残っていないので、一部記憶違いがあるかも。予めお詫びします。

 

データの総容量が増えたおかげか、同じファミコン音源を使用していても、Ⅲ・Ⅳの音楽はアルペジオなどの技法が多用されて深みを増している(同じメロディの「序曲」を聴き比べてみるとわかる)。

 

eスポーツ番組「eGG」に下村陽子さんがゲスト出演した回で「もっとも感銘を受けた曲」を聞かれた際にドラゴンクエストⅢ・おおぞらをとぶラーミアのテーマ曲)」を挙げ、「もし自分にこんな曲が作れたら、その瞬間に死んでもいい」と語っていたのはとても印象的だった。
(話は飛んでしまうが、下村陽子さんの作曲したストⅡステージテーマ「リュウ」「ケン」「春麗」「バルログ」は、すぎやまこういち氏の音楽に匹敵する芸術作品だと個人的に思っています

 

また「勇者ああああ」のプレゼンコーナーで、ドラゴンクエストの戦闘BGMの技法が絶賛されていた(プレゼンターが誰だったか忘れてしまった・・・)
4拍子でスタートする曲が、わずか1分前後のサイクルのなかで9/8拍子や7/8拍子に次々と変化するのは、もはや異次元。私も小中学校ではピアノやブラスバンドを少々かじったが、とても理解して演奏できるとは思えない。

 

ついでに、これも超有名動画ですが、あまりにも素晴らしいので改めて引用させていただきます。
ファミコン音源を使用した演奏活動で有名な「NES BAND」のリーダー、マツケん氏による

すぎやまこういち氏楽曲っぽい要素集【ドラクエ楽曲あるある】」

www.youtube.com

 

オーケストラ音源でつくられる現在のゲームも素晴らしいですが、限られた和音のなかで印象深い曲を作り上げていった当時のクリエイターは、もっともっと評価されるべきだと思います。


題名のない音楽会」がときどき特集してくれるのは、本当にありがたい。
何年前か忘れてしまったが、スーパーマリオブラザーズを紹介した回では、「当時、プロの音楽家からも『ピコピコ音楽』と偏見の目で見られていた」というエピソードも語られていた。この環境の中での偉業であることも、もっと知られてよいと思います。

 

わが愛すべきゲーム自分史(29)1991年・19歳  ~ クソゲー以上良作未満 ~

1980年代後半~90年代初頭はファミコンソフトがたくさん世に出た時代で、後世に残る名作もあれば、後世に語り継がれるクソゲーもあった。
しかし実際には、このどちらにも属さないような「微妙に面白くない」「微妙に操作性が悪い」「でもネタとしてはまあまあイケる」といったゲームが大多数だったように思う。

 

自身を思い返せば、この時期に自腹で買ったソフトは、アーケードの移植版や王道タイトル(ドラクエスーパーマリオ)も一応あるが、上記のような「評価のあいまいなソフト」をなぜか選んでいたように思う。

きょうは、そんな作品をいくつか紹介します。

 

テトリス(BPS)


詳しくは書かないが、テトリスの版権問題は非常に複雑で、各社からいろいろなタイプのテトリスが発売された。
ゲームボーイテトリス任天堂)は空前のヒット作となったが、ファミコン版は少し勝手が違った。
初期画面で虫食い状態のテトリミノが積み上げられていて、ハイレベルモードだと画面の2/3くらいを占領している。これを取り除きながら所定のライン数をクリアするというスタイルで、ドクターマリオの感覚に近い。
このため、4ラインまとめて消すような爽快感がほとんど実現しない。
また(私の記憶が正しければ)、十字キーでテトリミノを回転させ、Aボタンで落とす操作性だったはず。この感覚になれるのにはかなり時間がかかった。

 

アメリカ横断ウルトラクイズ 史上最大の戦い(トミー)
本家の番組にも3回参加したが、東京ドームの第一次予選で瞬殺された。
その憂さ晴らしではないが、ゲームで疑似体験できると思って買ったものの、番組とは全く違う演出。
笑わせてくれるのは、ニューヨークで優勝したあと、地球を反対方向に回って日本に帰るRPGに変身すること。
また、RPGでもクイズが出題されるのだが、問題総数2000問のはずなのに、3~4問に1回は「タラちゃんとイクラちゃんの関係は?(答:はとこ)」 が繰り返し繰り返し出てくる。
この「タラちゃん攻撃」は一部界隈では有名で、結構長い間ネタにされていた。

ウィキペディアによれば、ゲームボーイ版のウルトラクイズはそこそこ番組を再現していたらしい。また、後に発売されたPS2版の再現度は、もはや芸術の域)

 

中嶋悟 F1HERO(バリエ)
ファミコンのスペックの中では頑張ったグラフィックと、疾走感はなかなか。
ただ、ギアをマニュアルで上げていくタイミングが難しいのと、ハンドリングがかなりシビア(すぐスピンする)。
すべてのコースの特徴を中嶋悟氏が解説してくれるのはよいが、ラスボスが中嶋氏という露骨なえこひいき。
これ以降、ファミコンでも続編が出され、スーファミでも発売されるなど、メーカー側の推し具合が半端ない。

 

余談だが、ファミコン時代には芸能人とタイアップしたソフトが多く出された。
さんまの名探偵など高評価作品もあるが、大半はゲームとしての評価に疑問符がつく。
なかでも、舛添要一 朝までファミコンは、私はプレイしていないのだが、珍作として語り継がれている。

 

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30年経ったあとの結果論じみた感想だが、
この時期に名作と呼ばれたソフト(ロックマン魔界村グラディウス等)は、2010年代になってエミュレータバーチャルコンソールで楽しむことができたが、上記のようなソフトはまず再販されることはないので、遊ぶチャンスはその時代にしかなかったことになる。
こうしてレアな体験を記憶し、ネタとして提供できるのも、長い目で見ればメリットなのかも(と言って無理やり自分を納得させる)。