わが愛すべきゲーム自分史(18)1990年・18歳  ~ リアル世界でファミコンGO ~

親との取り決めで、学費+家賃は仕送りで賄うが、それ以外の費用はアルバイトで捻出することにした。
これでも十分すぎる待遇。両親(ともに他界)には感謝しています。

 

5月には週2回のアルバイトも決まり、時間的にも金銭的にも少し余裕が出てきた。
もともと、服装にも食事にも贅沢する発想はない。
ならば考えることは1つ。家でファミコンを遊ぶのだ。7年越しの悲願である。

 

まず、住んでいるアパートの生活圏でゲーム機やソフトを買えるところを探した。

この時代「町のおもちゃ屋」は衰退が始まっていたし、あっても品ぞろえが脆弱。
電車に乗って吉祥寺辺りまで行けば量販店はあるものの、毎度毎度通うのも大変。
しかし考える。ここは学生の街。ゲームのニーズがないはずはない。
探せば絶対にゲーム販売店は見つかるはずだ。

 

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中古ゲームの店舗販売といえば、今ならば「ゲオ」「ブックオフ」などだろうが、90年代前半当時、これらの店舗はまだまだメジャーではなかった。

その代わり、数坪のテナントでひっそりと個人経営している中古ゲーム店がそこら中に点在していた。インターネットなどない時代、ゲーム好きたちは友人間のクチコミなどを頼りに店を探し出し、通い詰めていたのです。
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大学から自転車で10分ほどのところに住んでいたが、通学ルート以外の街並みはまだ詳しくなかった。大学で出来た友人もみな上京組で、土地勘のある人はいない。
ならば自力で探すしかない。

日曜日の朝、自転車をアパートに置いて街歩きを敢行した。

 

私鉄の駅周辺に狙いをつけ、歩くこと半日。
ありました。小さなビルの2階。

1階は定食屋で、気を付けてなければ看板も見逃しそうな店。

おそるおそる入ると、所せましと壁にぶら下がるカセット。そして棚の上にはファミコン本体。


中古でも1万円くらいだったと思う。ソフト3本と一緒に買えば2万円。
学生には安くない金額。 親の言いつけを破る背徳感。 学業への支障は?

さぁどうする?

 

 ……と悩んだのは、おそらく2秒くらいだったと思う。

ゲームのカセットのイラスト

同世代から遅れること7年、本当の意味でのファミコンライフが始まった。