わが愛すべきゲーム自分史(17)1990年・18歳  ~ 続・大学デビューはボウリング場 ~

大学サークルの友人とボウリング場で遊んだ話の続き。

それではビデオゲーム編】


● アドベンチャークイズ カプコンワールド(カプコンクエスチョンマークの帽子を被っている女性のイラスト

アドベンチャークイズ カプコンワールド - Wikipedia

クイズを解きながら、すごろく形式で各ワールドを転戦し、ボスを倒しながら進む。
アーケードのクイズゲームはこれが初ではなかったと思うが、「2人対戦プレイで早押しができる」「正答率が表示される」といったギミックが充実し、その後のクイズゲームのフォーマットにも大きな影響を与えたそうだ。
数々のやりこみ要素に私も魅了され、基本的に散財はしない性格なのだが、これだけは100円玉を積んでコンティニューを繰り返し、全編クリアを目指したものだった。

また、2P対戦とは言っても実質的には協力プレイなので、友人と2人で挑めばクリアも楽になった。


※ このゲームは「カプコンワールド」の名称が示すとおり、各ワールドのボスにはカプコンの人気キャラクターや関連人物が配置されている。
しかし前述のとおり、私は5年以上ゲームの流行の最前線から離れていたので、当時は「レッドアリーマー」や「Dr.ワイリー」が出てきても、それが何なのか全く理解できていなかった。あるあるネタが分からないのは勿体ないのだが、分からないものは仕方がない。


※ 1年後に、スケールアップした「ハテナの大冒険」もリリースされ、こちらも相当やり込んだ。

 

ファイナルラップ2(ナムコ

ファイナルラップ - Wikipedia

ナムコのレースゲームとしてはポールポジションが最初のヒットだと思うが、このゲームでは複数の筐体をデータリンクして友人同士で競い合えるのが画期的だった(今では当たり前のことでも、最初に世に出たときの衝撃は大きいし、開発者の苦労も並大抵ではないのだろう)。
町中のゲーセンでは2~4台が定番だったが、ここのボウリング場では床面積の広さを生かして8台連結されていた。ボウリングに飽きたメンバーが8人横に並んで鈴鹿サーキットで競い合う姿は、控えめに言っても壮観だった。
(今回調べて初めて分かったのだが、下位のプレーヤーほどマシン性能が良くなる設計で接戦を生み出していた。この辺が、リアルを求めながらもリアルに振り切らない、ゲーム世界の良いところなのだと思う


ほかには「TATSUJIN(東亜プランタイトー)」も時々プレイしたが、シューティングはどうもうまくならず、コスパの悪さが負担となってフェードアウトした。

 

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ちなみに、そのボウリング場はここ。 10年以上前になくなったんだ……。

国分寺パークレーン - Wikipedia

時の流れは非情ですが、学生時代の思い出を形作った貴重な場所は、心の中で生きています。
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