わが愛すべきゲーム自分史(24)1990年・18歳  ~ ファミコン名人戦(将棋) ~

頭脳ゲームに関しては、将棋への興味も弱いながらに続いており、こちらも「気を遣わない相手」としてファミコンの将棋ソフトを購入することにした。

 

ファミコン名人戦(SNK)

人工知能と戦う将棋の棋士のイラスト

まず最初の感想が「えっ? 強くないの?」
そもそも、理数系にとことん弱い私は「コンピュータ=人智を超えた存在」と勝手に勘違いし、常に人間を凌駕する指し手を見ながら教えを請おうと考えていたのだ。
だから、初心者に毛が生えた程度の棋力(アマ5級くらい?)の私が五分に指せることが意外で、驚いてしまった。

 

※ もちろん今は正しく理解している。1980年代の将棋ソフトは「反則せずに対局を成立させられる」ことがまず重要であり、それを達成し、かつ商品化にまで漕ぎつけたソフトはとてつもなく偉大なのです。


※ そして、2010年代にプロ棋士がコンピュータと激突した「電王戦」を経て、今は将棋に関してだけ言えば「コンピュータ=人智を超えた存在」は現実のものとなった。人間はコンピュータと共存しながら、新たな将棋の世界を楽しんでいる。

 

ただ、これも怪我の功名で、なまじ私が弱かったがために、がっぷり四つで勝負を楽しむことが出来た。
リーグ戦は1回敗退すれば昇級できない設定で、私にとってはシビアな展開。
当時としてはグラフィックもきれいで、詰め将棋も収録されるなど、気分転換のおともとしては十分な収穫だった。

 

※ 私自身は、30歳を過ぎてから改めて定跡を勉強し、ネットが常時接続環境になってからはオンラインの実戦も重ね、将棋ウォーズ初段(将棋倶楽部24では5~6級)になった。人に自慢するレベルには程遠いが、たまにリアルの大会にお遊びで出場するなど、趣味と呼んでも良いくらいにはなっている。

わが愛すべきゲーム自分史(23)1990年・18歳  ~ 田村光昭 麻雀ゼミナール ~

大学生の娯楽の筆頭格と言えば麻雀だが、私はルール程度しか知らなかったし、友人からもメンツが足りない時だけ声がかかる程度で、そこまでのめり込みはしなかった。
そうは言っても、暇つぶし程度には遊びたいのと、コンピュータ相手なら気を遣うまいということで、ファミコンの麻雀ソフトを買うことにした。

麻雀牌のイラスト

 

● 田村光昭 麻雀ゼミナール(ポニーキャニオン
どうして井出洋介や自己中心派などのメジャータイトルを選ばなかったのかは不明だが、タイトルが示すとおり、プロの打ち筋鑑賞モードなどのアカデミック要素に魅力を感じたのかもしれない。
ウィキペディアにも独立ページがないマイナーソフトのようだが、これ、意外と面白かったです。

 

起動すると、田村光昭氏の真顔のアップ(やくみつる似)が印象的。

さて、マニアックな楽しみ方が出来るのが「麻雀クイズ10問(何を切る?)」
捨て牌ごとに点数が決まっていて、正解すると最高点の10点。

10問すべて正解で100点満点。
次善手にも部分点が付いていて、10問終了後に合計点が示されるのだが、
このときに、総合評価として「雀○(←漢字一文字)」という称号が出るのが面白い。

 

無難な点数(60点前後?)でまとめたら「雀士」となったので、上位の称号を見ようと何度も挑戦する(問題は固定されているので、何度もやり直せば正解は分かるのだ)。
雀鬼」「雀豪(記憶あいまい)」「雀聖(同左)」と来て、ようやく出ました100点満点。
 雀神 !!  神ですよ神。 いやぁ神ってます。

 

さて、こうなったら下も見たくなるのが人情というもの。
しかし、平凡な捨て牌にも意外と点数がついていて、「雀愚」にはなるものの、0点にするのが難しい。
わざと暗刻を崩すような馬鹿手を出し続け、ようやく出ました総合0点。
 雀痴 !!  すごいなこのワードセンス。 現代でも通用するのか?


さてさて、普通の4人打ち麻雀も打てます。
(一部サイトで「クイズのみ」と紹介されていますが、そんなことはない)
これがまた私好みのぶっ飛び具合で、「地区予選」から勝ち上がる(確か2位以内)につれて「全国」「アジア」「世界」と進み、果ては「太陽系」「銀河系」まで戦うことになる。
宇宙編では古代進やダースベイダーとも卓を囲むのだが、古代となら地球でも打てると思うけど・・・

 

それでいて、イカサマやお色気要素もなく、基本線はマジメなのもまた良し。
早々に飽きたソフトも多いなか、これは大学4年間通じて地味に遊び続けたように思う。

わが愛すべきゲーム自分史(22)1990年・18歳  ~ ドラゴンクエストへの道 ~

順番が逆になったが、次に挑戦したのが初代ドラゴンクエスト
期待にたがわぬ面白さで、2日くらいで一気にクリアした。

スライムのイラスト(キャラクター)

この超有名な作品について、いまさら浅い感想など書いても意味はないだろう。
それよりも、コンピュータ環境が今とは比較にならない1980年代にあって、初めて家庭用ゲーム機に本格的RPGを持ち込み、確立させた功績については、何度語ってもよいと思う。

 

最も有名なのは、このゲーム全体が64キロバイトであること。

(ちなみにスーパーマリオは40キロバイト
今の写真1枚のデータの何十分の1の容量で、1つの冒険活劇(しかもインタラクティブな)を完成させていたことに、先人の偉大さを実感する。


カタカナを20文字に限定して「へ」や「リ」を平仮名と併用し、鍵かっこ・読点を省くなど徹底したデータカットをする一方で、先行していたRPGウィザードリィ」「ウルティマの画面の見せ方をいいとこ取りして両方採用する「マルチウインドウ」を初めて実装するなど、新機軸もしっかりと打ち出していた。

 

当時のエピソードについてはもっと詳しいサイトがあるのでそちらに譲るが、個人的にはこのマンガがお勧め。

www.fukkan.com

私も学生時代、プレイとほぼ同時期に買って読んだ。
(引っ越しの時に古本屋に売るんじゃなかった・・・。 あえて「復刊ドットコム」のリンクを貼ります)


昔を知る世代の贔屓目を承知で言うが、今の20代以下のゲーマーには、80年代の名作ゲームを「その不便さも込みで」プレイしてみてほしい。
今の超大作ゲームや名作ストーリーも、草を分け入った先人クリエイターの努力の上に成り立っている。その歴史を知ることは、古典文学やクラシック音楽と同様に、尊い経験になると思う。

 

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限定発売された「ニンテンドークラシックミニ・ファミリーコンピュータ週刊少年ジャンプ版)には、ドラクエシリーズのなかでこの初代だけが収録されている。
たまたまブックオフにあったのを購入して約30年ぶりにプレイしたが、まったく色あせていなかった。
収録されている20本のソフトには正直言ってクソゲーも多いが(特に北斗の拳は衝撃)、ファミコン版オリジナルのドラクエを遊べるチャンスは急速に減っているので、昔のまま楽しみたい人や昔のゲームに触れてみたい人は、ドラクエだけのためにこのハードを買うのもありかなと思う。
(私は本作品と天地を喰らう」「キャプテン翼(Ⅰ・Ⅱ)」だけで、元はとったと思っている」)
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わが愛すべきゲーム自分史(21)1990年・18歳  ~ ドラクエ2後編・落とし穴無間地獄 ~

5つの紋章を手に入れ、邪神の像を掲げて、挑むはハーゴンの待つロンダルキアへの洞窟

このダンジョンの鬼畜度合いは、数多のサイトで言及されているので今さら感満載なのだが、ゲーム人生最大のトラウマ体験なので、やはり多少は触れておきたい。

洞窟のイラスト

 

・5階の落とし穴の数が半端ない
「時々引っかかる」などのレベルではない。感覚的には、目の粗い網の上を歩くような気分。
一番つらいのは、一度落ちた穴が再び隠されてしまうこと。(あまりにも過酷なので、スーファミ以降のリメイク版ではマーキングされるようになった)

 

・6階は分かれ道の選択を1度でも誤るとスタートに戻される

 

・モンスターが集団で襲い掛かり、強力な呪文を浴びせてくる

 

それまで私は「ゲームは行き当たりばったりの試行錯誤を楽しむもの」だと思っていたが、ドラクエ2はそんな甘い考えを打ちのめすに十分だった。
何度かの挫折を経て、ついに学校用のカバンからレポート用紙と定規を引っ張り出し、マップ作りに取り掛かった。
(それまでにウィザードリィなどをプレイした人なら、マッピングの重要性は知っていたのだろう。しかし私は、ここまでやらなければクリアできないという経験をしたのはこのゲームが初めてだった)


しかし、上記のトラップそのものよりもプレイヤーを心理的に追い詰めていくのは、「何度もやり直しさせられるうちに、アイテムやMPがじりじりと減っていく」ことである。
自分のターンになるたびに、回復アイテムや呪文を使うか玉砕覚悟の攻撃に賭けるかでギリギリの判断を迫られるのが、このゲーム最大のハイライトだったと思う。

 

そして、これも超有名だが「ラスボスのシドーがベホマで完全回復する」絶望仕様。
私は2回これをやられて心が折れ、件の友人(大灯台を教えてくれた)に禁断のバグ技はかぶさのつるぎ(最強攻撃力 + 2回攻撃 + 呪いなし)を実装してもらって、ようやくクリアしたのであった。


これほど苦しめられたにも関わらず、経験したドラクエ(1~6)の中では2がマイベストなのです。
程よい長さのストーリー、複雑すぎないキャラクター設定。


そして何よりも、エンディング曲「この道わが旅」の素晴らしさにつきます。

不思議なことに、オーケストラで聞くよりもファミコン音源の方が感動するんですよね。さんざん苦しんだ末にたどり着くカタルシスなのでしょうか。

わが愛すべきゲーム自分史(20)1990年・18歳  ~ ドラクエ2前編・海で迷子になる ~

ファミコンの1人プレイは、中3時にストップしたままのドラゴンクエストから始めることにした。

(1から始めなかった理由はよく覚えていない。たまたま2が売っていたからか、2のストーリーのほうが気になっていたからか・・・)

ムーンペタで話しかけた犬が王女であることは察しがついていたので、4年越しに魔法を解いて仲間になったときは感慨深かった。

魔法使いのイラスト(女性)

 

その後も順調に進み、ルプガナで船を手に入れて海に出たのだが、そこから何をしたらよいか分からなくなった。

実質初めてのRPGであるうえ、当時のファミコンソフトはヒントも少なかった(それでもドラクエは相当親切な方だと後で知ったが)。
なんとか手当たり次第に世界をめぐっていったが、5つ目の紋章がどうしても手に入らない。

今はネットに攻略サイトが無料で落ちているが、当時は攻略本を購入するしかなかった(ファミコン雑誌も、ネタバレになるため序盤しか解説しないのが通例)。
当時の私はなぜか「攻略本を買ったら負け」と思っていたので、無駄にレベルを上げながら海を彷徨っていた。

そこへ助け舟を出したのが、自宅ゲーセン仲間の友人。
私のパラメータを見るや一言 「大灯台に行ってないじゃん」 ・・・!?

なんと、海に出たらすぐに行けた離れ小島の存在を見落としていたのだ。
(「同じ人が何度探しものをしても、同じところを見逃す」というセリフが推理小説にあるとか。古畑任三郎も言っていたような・・・)

それからようやく大灯台を攻略。レベルを上げすぎたので、いやあ楽だこと楽だこと。

 

(後編に続く)