わが愛すべきゲーム自分史(6)1981年・9歳  ~ スーパーのゲームコーナーPart2 ~

引っ越し先の町にも1軒だけ総合スーパーがあり、おもちゃ売り場の隣にはゲームコーナーが設置されていた。
小4くらいになれば、選ぶ機種も多少アクティブになる。強く記憶に残っているのはこんなところ。

 

エレメカ編】

 

● ミニドライブ(関西精機製作所)
日本最古のレースゲーム(初出は1959年!?)が普通に稼働していた。
ベルトコンベアのように手前に動く道路上を、大型車並みのハンドルで操作してチェックポイントを通過させる。単純なのになぜか面白い。


● タッチアクション(こまや)
1~30の数字が書かれたボタンが、5行6列にランダム配置されたパネル。
1分以内に、指示された数字をどれだけ多く押せるか競う。20点で再ゲーム。
開始前にボタン配置を凝視して覚えてからお金を入れるのだが、焦るとやっぱり忘れるのがご愛敬。回数を重ねるうちに再ゲームまではできるようになったが、「あなたは天才!」は最後まで出せなかった。中学生くらいまで挑戦していたな。

 

● ケロケロパックン(こまや) 

パチンコではじいた玉がレールの上を遠心力で転がり、最後に中央部のカエルの口(可動)にうまく入ればOK。5回成功すれば景品が出るのだが、だんだん口の可動域が狭まるので難易度が増す。
このゲームもそうだが、当時のエレメカは「玉の軌跡を見て楽しむ」系が多かった。

 

※ 「(株)こまや」は2015年に破産したんですね。これも時代の流れとはいえ、とても残念です。

 

ビデオゲーム編】

 

● スピードレース(タイトー)   

白黒もカラーもプレイした記憶がある。Wikipediaを見ながら記憶をたどると、おそらく白黒バージョンが「スピードレースデラックス」、カラーバージョンが「スーパースピードレース」だろう。
スリップコースの若干不快な音と、ミス時に車の映像が崩れるところはよく覚えている。
時間延長になるまでは上達した。また、基本的にゲームはしなかった父親も、これだけは時々プレイしていた。いまの大人がプレイしても普通に面白いと思う。


ディグダグナムコ

店内でディグダグ攻略の豆本を頒布していたので、もらって読みふけったが、効果はいまひとつだった。全部の敵を集めて岩石落とし1回でクリアする達人を後ろから見ていたなぁ。


クレイジークライマー日本物産)     

左右2本レバーという独特の操作性と、機械音とはいえ「ガンバレ」「イタッ」「ヤッタ」「アレー」の言葉が出てくる面白さ、そして何よりも設定の馬鹿馬鹿しさにハマった。


● ジャンプバグ(セガ) 

この時期では1番やり込んだ(30円だったのも大きい)。
同じ横スクロールでも「スクランブル」よりこちらに没頭したのは、フォルクスワーゲンビートルが空を飛んで弾を撃ち、海底や宇宙へ行くという、設定のぶっとび具合に惹かれたのだと思う。
クレイジークライマーもそうだが、80年代のアーケードゲームのなかには、こうした
「何の脈絡もない世界観」の作品が結構あった。いまの時代、こういうゲームが世に出ることはあるのだろうか。


80年代前半まで、ゲームセンターは小学生には敷居が高く(後述します)、駄菓子屋かデパート・スーパーのゲームコーナーが定番だった。私も、高1くらいまではお世話になったと思う。