メタバース関連書籍2冊 感想

16日(金)に,5回目のワクチン接種をした。
毎回,副反応はそこまで強くはないのだが微熱は出るので,週末を選んで接種。
果たして,昨日は倦怠感のなか終日家で過ごすことになり,何をする気力もないので,ブログの毎日更新も途絶えた。
気を取り直して,今日からまた書いていきます。

 

ゲームやコンテンツ産業振興の仕事を通じて,メタバースにも興味を持つようになり,関連書籍を2冊読みました。
今後の仕事に生かせるかはともかく,単に感じたことを簡単に書き留めておきます。
「『もうひとつの世界』はどこまで実現するのか,それは望ましいことなのか」

 

www.shueisha.co.jp専門用語が多い割には筆致は平易で,例えも分かりやすく読みやすい。
メタバースを構成する技術の基礎や,関連ビジネスに参入するプレイヤーの紹介だけでなく,「人間が計算をすること」の根源的な歴史から振り返る試みなど,かなり欲張った意欲作。
メタバースの活用可能性については,経済だけでなく都市政策や教育にも言及しており,相当期待されている。
ただ個人的には,「メタバースの世界がリアルを凌駕し,主従が逆転する」という筆者の主張に対しては,「そこまで行くかなぁ」と,やや懐疑的な感想を持ちました。

 

www.kobunsha.com一方こちらは,メタバースの解説についてはほぼ同じ筆致だが,
メタバースによってもたらされる人間関係の変容」にかなりの紙幅を割いている。
現在のSNSというものが,もともとは自由なコミュニケーションツールを目指したはずなのに,実際には多くのフィルターバブルを生みだし,エコーチェンバー現象によって人々の考えが凝り固まり,それぞれに反発と分断を繰り返していると指摘。
いずれ実装されるメタバースは,このフィルターバブルが強化される場になるだろうと論じている。

 

ここまで読んだうえで,私なりのメタバースのイメージですが,


リアル社会を凌駕することはないと思う。
 人間が生身の存在である以上,三大欲望と無縁でいることはできないし,リアル社会で培われた伝統や文化の大きさを考えれば,それが無に帰することはあり得ない。

(バーチャルで世界中や宇宙を体感できたとしても,海外旅行にはやはり行きたいし,宇宙への憧れはなくならないだろう。また,メタバース上でアバターに服を着せる文化が定着したとしても,リアル社会でみすぼらしい恰好をしてもよいとはならないと思う)


しかし,リアル社会が生んだ負の要素を相対化するためには,メタバースの存在感はリアルと同等程度までには高まってほしいとも思う。
(バーチャル上での生活の比重が高まれば,ルッキズム障がい者差別などの比率は反比例して少なくなるだろう。)


メタバース上で新たな人間関係が生まれ,それゆえに新たな社会問題を惹起するだろうことは,なんとなく想像できる。
 しかし,SNSが問題を指摘されながら何だかんだで続いているように,メタバースも,そこで暮らす人々の努力によって試行錯誤しながらよりよい姿を模索するしかないのだと思う。

 

かなり粗い感想なので,もう少し勉強したら掘り下げて考察したいと思います。