わが愛すべきゲーム自分史(28)1991年・19歳  ~ 外れクジ(クソゲー)を引くのも経験値 ~

推理アドベンチャーゲームに興味を持ち、もう1本遊びたくなった。
そこで、タイトルだけ見て買ってしまったのがこれ。

 

● シャーロックホームズ 伯爵令嬢誘拐事件(トーワチキ

探偵のイラスト

結論だけ言うと、人生初の「金を出してつかまされたクソゲー」となりました。
その理不尽ぶりの詳細は既存のサイトを見ればよいので、

シャーロック・ホームズ 伯爵令嬢誘拐事件 - Wikipedia


私は下記の3点だけ言っておけば十分かと思う。
・ タイトルにある「伯爵令嬢誘拐事件」に関する描写が皆無
・ ホームズが善良な市民を蹴り倒しながら進むメチャクチャな設定
・ プレイヤーをクリアさせる情報の圧倒的な不足と不親切な配置

 

いくらぶっ飛んだ世界観が好きだとはいえ、推理小説ファンのイメージをぶち壊されてはたまらない。
諦めて投げ出すまでに半日とかからなかった。

 

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ファミコンのハード発売元である任天堂は、クソゲー1本でゲーム市場まで崩壊させた
アタリショックの轍を踏まないために、ソフトを開発する他の企業(サードパーティ)にハードル(高いロイヤリティ、任天堂でのゲームカセット製造独占、任天堂による発売可否決定権)を課したという話は有名である。


これによってソフトの質はある程度担保され、ファミコンは長期にわたって市場の覇者たりえたというのが定説なのだが、それでもなお、20世紀の時代には誰もが認めるクソゲーも世に出ていたのは事実。

 

おそらく、任天堂による規制があってもなお、少ない開発陣と予算で一山あててやろうという挑戦者が多かったのが原因だろう。当時は、玩具メーカーはもとより、雑誌マスコミや芸能事務所などもゲーム制作に参入していたような記憶がある。

分母が多ければ、分子(ゲーム)のなかに不良品も混じるのは仕方がない。
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私はこの経験以降、ソフトを買う前には前評判を確認するのが常になった。
ファミコン通信の「クロスレビュー」は役に立った(立ち読みの時もあったが‥‥)。ゲーム市場においては、インターネットなき時代、新聞の書評欄や、暮しの手帖「商品テスト」のような役割を果たしていたように思う。

 

ただしこれも完全ではない。世間的に人気のないソフトはそもそもクロスレビューにも上がらない場合があり、「売れている商品のみ買う」と割り切るのでない限り、クソゲーをつかまされるケースは一定程度残っていた。

 

21世紀以降は、ゲーム開発環境が統一されてきたことや、ネットでのレビューが充実したことにより、典型的なクソゲーは減って、「地雷を踏みぬく」経験も聞かれなくなっている。


ただ、引いた目線で眺めると、昔の「有象無象ひしめく環境」のなかでハズレを引き当てるというのも、長い目で見れば貴重な人生経験だったように思われる。

これもノスタルジーなのだろうか。